7周期目 D10 転院&顕微授精再開
前回の記事を読み直して、恥ずかしながら「ああ、ここで終わってるのか」と気が付いた。
検査薬で陽性が出たものの化学流産。
次の周期はクロミッドと黄体補充を試みてかすりもせず。
そしてここへきて、来年の春にパートナー君、国内遠方へ1年の長期出張が決まった。
長女の習い事などが本格的になってしまっているのでこのタイミングで全員で移動するのは無理がある。
1年妊活ができないとなると、私の年齢ではもう可能性はゼロだろう。
残り8か月にかけるのか。
現状を見てみると、化学流産が続いたことから受精卵の異常があることははっきりわかる。
パートナー君の精子にも問題があるわけだが、ほぼほぼ恒例による私の卵子エラーが原因だろう。
二人で数日間話し合う。
パートナー君は、副作用が強く治療がかなり辛かったので無理をして欲しくないとのこと。
私は諦めたくはないと言った。
受精卵の凍結や凍結精子でパートナー君の不在時にも治療ができる。
昔あった近未来小説のようで気が遠くなる計画だが、今やれるのはこれしかない。
パートナー君から快諾を頂く。
このところは顕微授精をしていた京野クリニックからステップダウンして木場公園クリニックに通っていたのだが
木場公園クリニックは婚姻関係の無い体外受精は行っていない。
京野に戻ることも考えたが、最後に診察を受けた医師のよく分からない対応に気が引けて、新たな転院先を探すことにした。
これまでは大きなクリニックが多く、いい意味でも悪い意味でも流れ作業の感があったが、次のクリニックは知人の話もあり
医師一人が担当してくれるところにしてみようか。また、少し違ったアプローチで特に卵子の質に気遣ってくれるところはないだろうか。
検索していると、なんと希望にぴったりのところがある。高齢不妊にも実績があるようだ。
早速初診の日を決めてきた。
さて、今日はD11。
排卵検査薬の開始が遅くなり、うまく陽性をキャッチできなかった模様だが、おとといからタイミングを開始した。
初診の日が近いが、この場合はどうなるのだろうか。
私たちの妊活はまた新たなフェイズに。
とりあえずやってみるしかないじゃないか。
5周期目 D21 高温期10日目:陽性?!
高学歴専業主婦はもったいない論争
先日炎上していた「はてな」の こちらの記事。
元ネタはブログごと削除されてしまったのだけれど、ニュースにまでなっているとは。
(しかも私のコメント引用されてるんだけど)
次のエントリで「やっぱりこのネタで釣れた釣れたww」とご本人がやってしまったのは大変残念なのだが、最初の記事を見る限り、この人がなんで叩かれるのかよくわからない。全部本当のことだ。本当のことをそのまま言っただけで「上から目線」なのか。
「普通にしてるのに上から目線だと言われる、大学名を言っただけで、勉強がいくらできてもうんたらと説教モードに入る年長者がたくさんいるわ、妙にトゲトゲつっかかられるわ。意識して腰を低く低くしてにこにこしてやっと、ひけらかさず腰の低い良い人だと言われる、だから学外の人には面倒だから言わない」と、知人談。
なので、表面的には腰の低さや無関心を装っているように見えるのだが、内面的には学歴と成果に自負を持っていい意味で自他を区別しながら生きている。そのように見える。
荒らしていた方々は全力否定するのだろうが、妬み、であることは明白だ。コメントを読んでも同じ立場の人からは共感されているし。
努力と才能の結果なんだから上から目線でよいではないか。確かに学歴が仕事の才能に直結はしていないシーンを見かけはするが、彼女の成果に対して、私は素直に素直に尊敬する。
以前どなたかが「東大を馬鹿にしたいから東大に入った」と言っていた。全く同意で 「狐とぶどう」は悲しすぎる。
道は拓けるのかしらん
本日二本目のエントリ。
生理は終わったけどルナルナだとブルー期らしい。なのでブルー期な文章を書いても良いんじゃないかと思う。
5周期目 D8 & 娘物語
結局今週期は治療をお休みしてしまった。
ちんたらダブルワーク
週に3日は「ウチの会社(自分のやっている会社)」、2日は「人の会社(契約でお手伝いしている会社)」。「ウチの会社」は立ち上げをしたばかりで、まだ関連の様々な方々と打ち合わせが多い。初対面の人としゃべることは好きだが後でどっと疲れるので、打ち合わせは1日3件程度にしてしまう。
私の筋の通ったキャリアは子育て中に途絶したのだが、あのまま働き続けていたらどうなっていたのだろうか。当時から会議も苦手だったし、別の部署のお話したことがない方に声をかけてランチに誘い情報シェア、みたいなことも好きではなかったので、下級管理職より上は厳しかったのではと思う。(しかしヲタクな男子をまとめるのだけは上手かった)
「ウチの会社」では全て自分で決めて事業の責任を取る。「人の会社」では決まったプロジェクトの内容を実現するべく私がプランニングするが事業の責任はとらない。
高性能のプリンターや会議室やジムやレストランのような社食や もろもろ。会社員とはなんて恵まれていたことか。また会社員になることがあったら、文句なんて言わずに感謝して働こう。
20年前に私がやりたかったことは、いまや無くてはならないものになっていてわくわくする。、しかし自分はそれに乗るタイミングを逸した。今はスキルの貯金を切り崩すか、良くてホールドの状態で仕事しているにすぎない。
疲れ果てていたあの数年で失ってしまった仕事への情熱。取り戻せるだろうか。