超高齢だけど不妊治療やってます

40半ば、高齢不妊治療中。軽度男性不妊のパートナーと顕微授精に挑みます。

道は拓けるのかしらん

本日二本目のエントリ。

生理は終わったけどルナルナだとブルー期らしい。なのでブルー期な文章を書いても良いんじゃないかと思う。

 
「次回はショート法で」と京野の院長先生に言われた。
低刺激であの副作用と卵巣の腫れっぷりだったのだから、本当に「命が縮まる」のではないか。
パートナー君はそう思っているらしいし、私もそうなんじゃないかと思う。
 
とはいえ、この悪条件下で自然妊娠の望みは薄い。漢方に頼って体を温めて運動。漢方の先生は「少し生薬が効いて環境が整ってから移植すれば?」と言っていたが、東洋医学は数値化したエビデンスがほぼ無いので、むしろ祈りに近いような気もする。
 
「ステップダウンしよう」
 
そう決めたのに、このところいつもブレている。京野ではAIH(人工授精)で妊娠した人は私の年では皆無という。診察の時、毎回先生方のちょっと困ったような顔を見るのがとてもつらい。
 
最後に京野に行った時のことを思い出してみる。たぶん初めて?の女医さんで感情が全く読めず、何を言っているのかもよく分からない。相性が悪かったのかもしれない。治療とは関係ないのに、パートナー君と一緒にかなり下のほうまで気持ちが落ち、帰り道に二人で「もういいよね」と言い合った。
 
もう一度、今度は絶対に文句を言わずにパートナー君(ひょっとしたら娘たちにも)に当たり散らさずないことを心に決めて、顕微授精に挑戦してみようか?結局のところ、何が正解なのかなんてわからない。
 
カーネギーの「道は拓ける」が座右の書である。
口にするのがちょっと恥ずかしいほど有名なこの本、有名すぎて手に取ることもなく何年か前に初めて読んだ。豊富な実例(実例よね?ほんとに。)を引き出しに、様々な立場の人が苦悩から解き放たれた手法をひも解いている。「情報収集と分析、決断と実行ができれば悩むことなど無くなる」と言っていて、この一年くらいはそれをモットーにしてそこそこ上手くいっていた気がする。しかし、カーネギー不妊治療のことなんて想定していなかったに違いない。
 
情報収集は「人のために情報を収集している」つもりになって手加減や都合の悪いことに目を背けることをせずに行え。
 
もしかしたら、一人称で考えすぎていたかもしれない。私がもし、私の立場の人にアドバイスするとしたらどうするだろうか。
「お金が許すのならば確率から言って治療したほうが良いと思うよ」
 
うん、これだなあ。どう考えても。
 
そういえば、ブログまわりの皆さんにおめでたい報告が続いている。本当に嬉しい。そう心から思える自分で良かった。