超高齢だけど不妊治療やってます

40半ば、高齢不妊治療中。軽度男性不妊のパートナーと顕微授精に挑みます。

家族のこと、持病のこと、仕事のこと

ここには治療のことのみを粛々と書いていこうと思っていたのだが、他の方のブログを読んでいても、前提条件がある程度分かるほうが具体的なイメージを作りやすいことに気づいた。
そこで標題のことについて少し書いてみる。

私は大学でかなり特殊な内容を専攻しており、一年生の時から既にそのラインでプロとして仕事をしていた。(専門的すぎてつぶしが聞かないとも言う。)
留学先を検討していた3年次から軽い足の麻痺を繰り返すようになった。診断は腰椎ヘルニア。
卒業してすぐに本格的な手術をしたところなんと原因不明の下半身麻痺に。寝返りするにも足を自分で持ち上げなければならないくらいだったけれど、院内で車椅子を暴走&ドリフトさせてナースから大目玉をくらったりと大して深刻には捉えなかった。今思えば防衛本能なのかもしれない。

なんとか杖アリで歩けるようになったのは一年と少し後。しかし麻痺は残りこれまでと同じ仕事を続けるのは難しいのではないかと思うようになった。高校の頃、これで一生食べていこうと思うにあたり、ダメだった時はすっぱりと引き際を見極めると決めていたのでそこは速かった。次にやりたい仕事は決まっていた。

歩けるようになって程なく、うまくその仕事に潜り込んだ。一年半後、希望していた会社の正社員に採用。わかってはいたが、相当の激務にて帰宅はいつも二時。昇進もしてセカンドキャリアは順風に見えた。しかし正社員勤務開始後、二年ほどしてなんとまた足の麻痺が始まる。

ヘルニアの治療をしながら、仕事を続けていたところ、今度は手の麻痺が起こる。ではこれはヘルニアではないのではないか。でもやはり原因がわからない。この頃から体が異常に疲れやすくなってきた。

相変わらずの激務の中、同じく激務の彼と結婚、妊娠。育休後復帰するがすべてを一人でやらなければいけない状況に体力はついて行かなかった。帰宅中に倒れ病院搬送された先で脳に異常が見つかり入院。

麻痺の多発と過度の疲労から多発性硬化症を疑われ一ヶ月検査入院するも確定せず多発性硬化症疑いというおかしな病名で放り出される。

仕事に復帰し、一年後に第二子を妊娠。第二子の育休後、また麻痺を繰り返しはじめる。子育てや家事分担の意見対立が深刻化していた夫と離婚。

その後、現在のパートナーと出会う。繰り返す麻痺は完治しなくなって残り始めており、泥のような疲労も強くなっていたので、家事全般に協力的な彼には本当に助けられている。麻痺は今でも繰り返していて、再発の要因はどうも疲労らしいとわかったため退職、現在は同じ仕事で週に二三日の勤務、且つ実家の事業手伝いをしている。以前と比べたら動く量は半分以下だ。

仕事は大好きだったので退職時にはショックを受けたが、再発が落ち着いた今、自分には大きな要素ではないのかもしれない、と思う。だって動けなくなっては仕方がない。
子どもたちは小学校中学年。教育費が膨れ上がってきたので体調が安定したらまたフルで働きたいと思っているが。